

こんにちは!ライターのT氏です!
新型コロナウイルスの感染拡大で延期となっていたプロ野球が、6月19日(金)についに開幕しましたね!
プロ野球開幕に合わせて「西鉄ライオンズ特集」の連載を開始します!
全12話を毎週火曜日に配信していきますので、ぜひお楽しみください!
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それでは・・・レッツ・ライオンズ!!
西鉄は24年間もプロ野球球団を所有していました!
西鉄は24年間もプロ野球球団を所有したという「数少ない企業の一つ」なんです。現在のプロ野球球団「埼玉西武ライオンズ」の前身は、西鉄が所有をしていた「西鉄ライオンズ」なんですよ。
1943年に「西鉄軍」が結成されたのが伝説の始まり!
1943年にプロ野球球団の大洋軍が西鉄に譲渡され「西鉄軍」が結成されました。しかし戦争による資金難、選手の徴兵などでチーム運営が厳しくなり、1943年のシーズンオフに西鉄軍は解散しました。(時代を感じますね...)
解散後1946年に西鉄ノンプロチームが誕生。1948年には都市対抗野球大会で優勝した(上写真)。
1949年に「西鉄クリッパース」を結成!
1949年夏、プロ野球日本リーグは新規加入を含む10球団でのリーグ構想を模索し、西鉄も名乗りを挙げました。ここで西日本鉄道㈱の初代社長・村上巧児の人脈が活かされます!
村上社長は、西鉄の社外取締役であった麻生多賀吉(麻生太郎元総理の父)を介して白洲次郎やGHQを動かし、新規参入を渋る正力松太郎を説得したことでプロ野球球団「西鉄クリッパース」が誕生しました!
村上巧児 西鉄初代社長
1951年に西鉄クリッパースと西日本パイレーツが合併し「西鉄ライオンズ」が誕生!
1951年に福岡市を拠点とするパリーグの「西鉄クリッパース」とセ・リーグの「西日本パイレーツ」(㈱西日本新聞所有)が正式に合併を発表し、パリーグに所属しました。翌2月に新聞紙上で新球団の愛称公募が行われ、人々に愛され今に続く「ライオンズ」という名に決定しました。
西鉄ライオンズ激励の夕(1953年)
1972年公式戦終了後に球団経営権を譲渡
1951年以来続いた「西鉄ライオンズ」は1972年に終焉を迎えましたが「ライオンズ」の名前は現在も「埼玉西武ライオンズ」が引き継いでいます。
5度目のリーグ優勝を果たし球場内を一周する選手たち(1963年)
次回予告!
いかがでしたでしょうか。みなさんに「西鉄がプロ野球球団を所有していた名誉ある会社」ということが伝わればうれしいです!
次回は【第2話】西鉄ライオンズが実は強かったって知っとる?【伝説の西鉄ライオンズ】です。お楽しみに。
にしてつWebミュージアム
西鉄の懐かしい写真や動画がたくさんあるので見ていってね♪
http://www.nishitetsu.co.jp/museum/index2.html
■ライターT氏のプロフィール
2020年4月から西鉄広報課・アーカイブ担当に。
配属後、西鉄社員として西鉄ライオンズの知識が足りていないことに絶望する。
その後、西鉄ライオンズの歴史を猛勉強の末に詳しくなり、みなさんにも西鉄ライオンズの歴史を
「楽しく」「わかりやすく」お伝えしたいと思い、西鉄ライオンズ特集の連載を決意する。
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