

こんにちは!「お盆太り」しているライターのT氏です!
今回は、西鉄ライオンズ特集!【第8話】西鉄ライオンズの元祖ウグイス嬢って知っとる?です。
第8話を最後まで読んでいただけると「準備と努力の大切さ」が分かるよ!
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それではみんなも一緒に・・・レッツ・ライオンズ!!
元祖ウグイス嬢は23年間皆勤賞
西鉄クリッパース時代から西鉄ライオンズが1972年のシーズン限りで球団を譲渡するまでの23年間、たった1日も休まずに、球団職員として平和台球場のウグイス嬢を務めたのが今泉京子(いまいずみみやこ)さんです。他の球団は数人のウグイス嬢が交代でアナウンスを担当していたのですが、西鉄は最後まで今泉京子さん1人でした。喉が弱くてよく熱を出していたとのことで、40度の熱があって声が出ない時も、「代わりはいない、私がやるしかなかった」と責任感を持ってウグイス嬢を務められました。(京子さんのガッツが凄すぎる・・・)
アナウンスをする今泉京子さん
西鉄本社事業課の所属だった今泉京子さんは業務命令で出向
西鉄が球団を持つと決めた際、西鉄本社事業課の所属だった今泉京子さんは業務命令で出向、わずか5名の球団職員中、唯一の女性でした。球団社長が彼女をアナウンス係に抜擢、しかしアナウンス経験どころか、野球を見たこともなく、ルールも全く知らないところからのスタートだったそうです。
アナウンスをする今泉京子さん
圧倒的な努力で一流のウグイス嬢に
「仕事の厳しさを教えてくれたのは三原脩監督。私にとって平和台球場の放送室は戦場、マイクに向かえば失敗は許されなかった」。三原脩監督に誉められようと無我夢中だったそうです。アナウンスに万全を期すために、新聞スクラップをまとめたり、スコアブックも自分流で工夫してまとめていました。試合開始の2時間半前には球場入りし、前日までの両チームの選手の公式記録などを確認し原稿を用意。当日の天候なども含めて情報を整理し準備して、万が一のトラブルにも柔軟に対応することができるようになったのです。(準備と努力の大切さが分かりますね・・・)
平和台球場の場内放送室にて、左:今泉京子さん、右:和田博実捕手(1957年)
今泉京子さんに取材してきました!(2020年8月4日)
T氏は2020年8月4日、今泉京子さんのご自宅へ取材してきました。京子さんは90歳になられているのですが「とてもパワフル」で「おしゃべりが大好き」なおばあちゃんでした。T氏が質問をする暇もなく、永遠に語られる西鉄ライオンズの思い出。それもそのはず、京子さんは23年間も西鉄ライオンズのウグイス嬢されていたからです。T氏が隙を見て「1番思い出に残っている試合は何ですか?」と質問をしたところ、京子さんは「全試合です」と一言、T氏「えっ・・・」。京子さんは全ての試合に本気で取り組まれており、「どの試合が1番かは答えられない」と深いコメントをいただきました。さらに、西鉄ライオンズのウグイス嬢に抜擢されたときのエピソードを教えていただきました。西鉄が球団を持つと決めた際、球団社長が「女性ウグイス嬢が必要だよね」とデスクで話をしており、ちょうど京子さんがお茶くみしていたタイミングで、球団社長が「おう!京子ちゃんでいいやん!」と一言。京子さんは「私は野球のルールも知らないんです。無理です!」と言ったところ、球団社長は「明日から必要なんだ。野球の勉強は明日からやれば大丈夫!」ということで、西鉄ライオンズのウグイス嬢「今泉京子」が誕生しました。(元祖ウグイス嬢の誕生がこんなエピソードだったとは・・・)
京子さん!約4時間にわたる取材ありがとうございました!どうぞこれからもお体を大切に、いつまでもお元気で。
左:今泉京子さん 右:T氏(2020年8月4日)
次回予告!
いかがでしたでしょうか。今泉京子さんは野球のルールも知らない状態から、努力をして一流のウグイス嬢になったんですね!さて、次回は【第9話】西鉄ライオンズの幸運のライオン像って知っとる?【伝説の西鉄ライオンズ】です。お楽しみに。
にしてつWebミュージアム
西鉄の懐かしい写真や動画がたくさんあるので見ていってね♪
http://www.nishitetsu.co.jp/museum/index2.html
■ライターT氏のプロフィール
2020年4月から西鉄広報課・アーカイブ担当に。
配属後、西鉄社員として西鉄ライオンズの知識が足りていないことに絶望する。
その後、西鉄ライオンズの歴史を猛勉強の末に詳しくなり、みなさんにも西鉄ライオンズの歴史を
「楽しく」「わかりやすく」お伝えしたいと思い、西鉄ライオンズ特集の連載を決意する。
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