

どうも! 好きなアルファベットはもちろん「T」ライターのT氏です!
みなさん!前回投稿の中間クイズはいかがだったでしょうか?
【中間クイズ結果】
回答者 71名
全問正解者 36名(51%)
悔しい結果に終わった人は卒業クイズでリベンジできるので引き続きよろしくね!
ということで今回は、西鉄ライオンズ特集!【第6話】西鉄ライオンズが誇った元祖ON砲って知っとる?です。
最後まで読んでいただけると、「普通の野球好きでも知らない知識」が手に入るよ!
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それではみんなも一緒に・・・レッツ・ライオンズ!!
大下弘と中西太の3番・4番コンビが「元祖ON砲」
他チームから「水爆打線」と恐れられた西鉄打線の中核を担ったのは、大下弘(背番号3)と中西太(背番号6)の元祖「ON」砲でした。3番中西、4番大下の西鉄ONコンビの誕生は西鉄ライオンズ誕生の翌年1952年4月。巨人軍の王、長嶋のONコンビは王がレギュラーに定着した1962年以降の事ですので、西鉄ライオンズの大下・中西が元祖ONです!!(これは野球好きの人でも、なかなか知らないと思いますよ!)
ベンチで寛ぐ大下、中西、中谷
大下弘(おおしたひろし)
野球の華であるホームランを日本プロ野球界で最初に量産したのが大下選手です。戦後、プロ野球リーグ戦が再開された1946年に東京セネタースでデビューし、いきなり20ホーマーで本塁打王。戦前の年間本塁打数の最高が11本、飛ばないボール、劣悪な野球環境を考えると大下選手の登場は1994年のイチローのデビュー以上に衝撃的だったと思います。翌1947年は打率・本塁打の二冠。赤バットを使って人気を集めていた川上哲治に対抗して、大下選手は「青バット」で流れるような美しいフォームから放物線の大きなホームランを放ち、スーパースターとなりました。大下選手のニックネーム「ポンちゃん」は、白球を面白いようにポンポンと外野スタンドに打ち込んだ事から来ています。大下選手は「天才打者」と呼ばれており、生涯最高打率はプロ野球が二リーグ制となった1950年の3割8分3厘です。プロ野球史の中で、3割8分以上を打った打者は大下選手を含めて4人しかいません。二日酔いで放った一試合7打席連続安打は今も日本記録です。(大下選手はミートの天才でもあったんですね!)
大下選手の引退試合(1960年)
中西太(なかにしふとし)
1952年に甲子園のスター中西太は高松一高から西鉄に入団しました。「四国の怪童」の異名を取った中西選手を、同郷の三原監督自ら動いて毎日オリオンズとの競合の末に獲得しました。中西は高卒ルーキーとして1年目から活躍し新人王。2年目の1953年は36本塁打、86打点で二冠(打率は2位)。初優勝した1954年も31ホーマーで連続本塁打王となる大活躍をしました。中西選手の逸話として、「ファウルチップで焦げたボールの皮の匂いが、マウンド上の投手まで届いた」という話があります(それだけ速いスイングだったということですね・・・)。更にメジャーのチームが頻繁に来日した1955年前後、来日したメジャーリーガーたちは、「中西だけはメジャー級」という言葉を残して帰国しました(その打棒は、海の向こうにも鳴り響いていたんですね・・・)。
中西選手の打撃練習
大下と中西がチームに与えた影響
二人の野球に取り組む姿勢も、若い選手の多かった当時の西鉄に好影響を生みました。練習熱心だった中西選手は、寮に戻ってからもヒマさえあれば素振りをしており、「あの中西さんがやってるんだから」と他の若い選手たちも競うように夜遅くまで練習しました。大下選手は若い選手たちを誘って、夜の中洲に飲みに行くことも多かったんですが、どんなに夜遅く飲んでも、早朝から起きてランニングや素振りで汗を流していました。シャイな大下選手は人前では練習嫌いのように装っていたんですが、「影の努力は惜しまない大先輩だった」と、当時の苦楽を共にした後輩たちは揃って口にしています(二人の存在によってチームが成長し、西鉄ライオンズは強くなったんですね!)。
試合前の練習風景
次回予告!
いかがでしたでしょうか。初代ON砲は巨人軍の王・長嶋ではなく、西鉄ライオンズの大下・中西だったんですね。このネタをドヤ顔で自慢すれば、野球好きの人でも驚くはずですよ!さて、次回は【第7話】西鉄ライオンズの守備の要・仰木彬って知っとる?【伝説の西鉄ライオンズ】です。お楽しみに。
にしてつWebミュージアム
西鉄の懐かしい写真や動画がたくさんあるので見ていってね♪
http://www.nishitetsu.co.jp/museum/index2.html
■ライターT氏のプロフィール
2020年4月から西鉄広報課・アーカイブ担当に。
配属後、西鉄社員として西鉄ライオンズの知識が足りていないことに絶望する。
その後、西鉄ライオンズの歴史を猛勉強の末に詳しくなり、みなさんにも西鉄ライオンズの歴史を
「楽しく」「わかりやすく」お伝えしたいと思い、西鉄ライオンズ特集の連載を決意する。
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