

ウッス!好きな応援歌は「ルパン三世」ライターのT氏です!
ついに卒業クイズ前の最終話ですね!第10話まで連載を続けて来れたのは応援してくれたみんなのおかげです!
ありがとう!最後まで気を抜かずにやっていくのでついてきてね!
ということで今回は、西鉄ライオンズ特集!【第10話】西鉄ライオンズの球団歌って知っとる?です。
第10話を最後まで読んでいただけると「西鉄ライオンズの歌」を熱唱できるようになるよ!笑
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それではみんなも一緒に・・・レッツ・ライオンズ!!
西鉄ライオンズの応援歌
西鉄ライオンズOBやファンが一堂に介するたびに、最後に合唱されるのが球団歌「西鉄ライオンズの歌」です。2010年末に行われた忘年会の席でも映像とともに披露され、参加したご遺族やファンの中には前奏が始まった途端に感極まり涙ぐむ人が続出しました。
1951年1月30日、西鉄クリッパースと西日本パイレーツの合併により誕生した新球団は、市民公募により愛称を「ライオンズ」と決定しました。球団歌は同じライオンの名を持つ、ライオン歯磨(現ライオンの商品:ハミガキ粉)が、宣伝面でのタイアップにより作られ、同年7月29日の大阪球場での対南海戦で球団歌の贈呈式が行われました。
『西鉄ライオンズの歌』1番
起てり 起ちたり ライオンズ ライオンズ
ゆするたてがみ 光りに照りて 金色まばゆき 王者の姿
九州全土の 声援受けて 空を仰ぎて 勝利を誓う
ライオンズ ライオンズ おお 西鉄ライオンズ
「西鉄ライオンズの歌」の動画はこちらから!!
※リンク先、最下部中央の画像をクリック
かつて平和台球場で唄われ、今なお熱狂的なファンに語り継がれる名曲は、西鉄ファンでも知られた作家・サトウハチロー氏が作詞、当時の人気歌手・藤山一郎氏が作曲したものです。「阿蘇のけむりも 筑紫の海も さつま日向の 草木も祝う」と続く歌詞は、当時の球団社党・木村重吉(同年11月 西鉄社長就任)の言葉を受けてサトウがまとめたものです。福岡だけでなく九州人に愛される球団をめざした西鉄にとっても、名将・三原脩を迎え日本一をめざすチームにとっても、最高の応援歌となりました。
球場での応援風景
西鉄ライオンズの球団歌は人々の心に刻まれている!
日本シリーズ連覇を達成して迎えた1958年3月4日、渡辺通りにあったRKB毎日放送Aスタジオに中西太、稲尾和久ら主力選手が集合しました。この時、楽団の演奏に合わせて選手が歌った「西鉄ライオンズの歌」は録音されてレコードとなりました。二番は当時すでに野球選手として初のレコードを出していた豊田泰光がソロで唄っています。これが今日まで遺る貴重な音源で、当時の球団職員で平和台球場の場内アナウンスも担当していた今泉京子氏の手元に原盤があります。この時の貴重な録音風景写真が西日本鉄道本社に遺っています。当時流行したロングコートを着た選手たちの熱唱ぶりが微笑ましいですね。のちにダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の応援歌が選手の歌うものとなりましたが、その先駆けも西鉄ライオンズでした。チームの躍進とともに球団歌も有名になりました。1972年限りで球団が譲渡された後も、伝説の野武士軍団の記憶の一部として人々の心に刻まれています。
楽団の演奏に合わせて選手が歌う「西鉄ライオンズの歌」(レコード録音風景)
次回予告!
いかがでしたでしょうか。西鉄ライオンズの球団歌は人々の心に刻まれている名曲なんですね。次回はついに【卒業クイズ】伝説の西鉄ライオンズ 全話を振り返りクイズを出題!です。ここまでついてきてくれたみんなが卒業できるのを期待しているぞ!では来週また会おう!Ti amo!
にしてつWebミュージアム
西鉄の懐かしい写真や動画がたくさんあるので見ていってね♪
http://www.nishitetsu.co.jp/museum/index2.html
■ライターT氏のプロフィール
2020年4月から西鉄広報課・アーカイブ担当に。
配属後、西鉄社員として西鉄ライオンズの知識が足りていないことに絶望する。
その後、西鉄ライオンズの歴史を猛勉強の末に詳しくなり、みなさんにも西鉄ライオンズの歴史を
「楽しく」「わかりやすく」お伝えしたいと思い、西鉄ライオンズ特集の連載を決意する。
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